あかパンダブログ

福島県に住む23歳。ドクターマーチンの記事が人気。人生のブログ化を目標にライフスタイルブログを運営しています。

幸せってなんだ?2019年9月23日

小さな頃から私「幸せ」に敏感である。

時間があるのが幸せなのか、金をたくさん使えるのが幸せなのか。

どちらもなのか?

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時間は幸せの必要条件?十分条件?

ならお金は?

 

時間や金が幸せの根源のようにもてはやされる現代だが

どうもそうではないと思う。

無論、あって困るものではない。

だがそれだけで幸せと感じられるのかと考えると、微妙だろう。

 

幸せとは。

私が通っていた塾の塾長はなかなかの切れ者だった。

面白い授業をたくさんしてくれたが、小論文の授業では、「言葉の意味を自分で定義する」という少し変わった授業があった。

 

その授業は結構心に残っていて、今でも言葉の意味を別の言葉を使って定義してみたりする。

その中でも「幸せ」という言葉は強敵だった。

でも、意外と良い線を言っていると思う答えが自分の中で出た。

 

 

私の祖父、祖母は40で働くことを辞めた。

それまでは一生懸命に働き、頭を使ったそうだが、その時点で一生分の資産は手に入れていたから、その後は今も含め悠々自適に生きている。

でも高い車を買うだの、遠くへ旅行をするだの、そういうことにお金をかけている様子は見えない。見栄を張ることにも金を使わない。

 

不動産経営をしているが、そこの入居者との交流や近所の付き合いを大切にしているごくごく一般的なおじいちゃん、おばあちゃんだ。

 

服にも食にもそんなに金をかけることもしないし、驚いた買い物といえば私が子供の頃曽祖父の誕生日に家をプレゼントしていたこと。

そんなに大きな家ではないが驚いた。そういえば、自分に対しては金を使わないが、人には結構金を使っていたかもしれない。

 

祖父母の生活を見て学んだのは、少なくとも自分に金を使うことだけでは幸せにはなれないということだった。おそらく、周囲の幸せと自分の幸せが同調するのだ。

だから皆を幸せにしようとする。すると、幸せが帰ってくる。

不思議なものだが。

 

私の一番身近な「幸せ」の実態に触れることができる場面がこれだ。

 

幸せは人によって形が違うという。

まぁ、それは私も納得だ。

 

だから、これを事例に私にとって幸せとはなんなのか考えてみることにする。

 

幸せとは何かを考えるに当たって、どんなときに幸せだと思うか考えてみる。

例えば、バイクに乗っている時。ほしいものを買えた時。新しい場所を訪れた時。ブログのPv数が多かった時。美味しい料理を食べている時。

 

それでは逆に、幸せでない時はどんな時か。

この視点が以前の私には欠けていた。

例えば、仕事で遅くなった時。仕事で忙しい時。喧嘩した時。ブログのPv数が落ち込んだ時。バイクのフロントフォークにオイル漏れが見つかった時。思ったように記事が書けない時。

 

総合的に考えると、私にとって幸せな状態とはこんな状態だと思える。

 

不安がなく、希望がある状態のこと。

 

これはいい線を行っていると思う。

漠然と金や時間があっても、それは幸せには結びつかないと。

以前、私は「嫌われる勇気」という本を読んだ。

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この本にはいろんな新しい発見が書いてあった。

幸せはこんなに身近にあったのか、と。だが、少し理想論だと思ったのも真実だ。

というより、「この本で語られる幸せの本質を掴むのにはまだまだ時間がかかるだろうと思った」というのが近いか。

だけれど、共感できる部分も見つかった。

それは、自分を受け入れること。

 

自分の能力を受け入れ、上を目指して努力する。

この考えは「希望がある状態のこと」に繋がる。向上心がある。

それに、自分の能力を受け入れ、できることはやる。できないことは他者と協力してやり遂げると決めれば「不安がない状態」も生み出してくれるかもしれない。

 

「不安がない状態」だが、私の祖父母は不動産を持っている。何もせずとも金が回るシステムを構築している。そして、何と言っても周囲とのコミュニケーション。私の祖父母は困っている人がいれば助ける。多分、見ず知らずの人でも目の前で困っていれば助ける。誰かを助ける時、それがいつか回り回って自分の助けにもなるということを本能で知っている。

 

希望についてもそうだ。私の祖父母は必ず未来の話をする。趣味のメダカを飼うと、養殖事業を立てようとする。趣味の畑では、育てる作物の研究や相性に余念が無い。きっと何歳になっても先を考えて「面白い方」へと向かって歩っていくだろう。「これは希望がある状態」だ。

 

幸せになるためにどうするか。

実は、私は最近幸せを感じるようになっている。

不安がない状態というのは私には難しい。どうしても見栄を張ってしまうこともあるし、自分の好きなことでも他者の目を気にする場面がどうしてもある。

だが、希望はある。ブログのPVは少しずつだが増えているし、工夫次第でバイクのガソリン代くらいは月に稼げそうだ。

何よりブログはほとんど元手がいらないから、そう考えるとすごく価値があると思う。

自分の手で、自分の力だけで少しだが金が稼げているという実感は希望に繋がっている。

仕事もそうで、大変でストレスも溜まるが仕事を通して学ぶことが多い。未来に生きる力だ。

 

問題は「不安」をどう消すかだ。

昔から不安症な毛があるからすぐにどうということにはならないだろうが、手っ取り早く不安を無くすなら、仲間を見つけることか、資産を持つことだと思っている。金があっても不安は無くならないだろうから。金を生むシステムを持たなければならない。幸い私はまだ若いし、不安と長く戦うことができる。

 

5年後、10年後になれば幸せの定義が変わってくるだろうが、その時どんな幸せに関する知見を私が持っているのか気になる。