家族と食事時、テレビを見ていて思った。
この人にとってはテレビの情報が”正しい”のだと。
まず大前提として、正しさというものは無い。
正確には絶対的な正しさというものはない。
どの側に立つかで正しさは決まる。
私の正しさと、貴方の正しさは違う。
こういうと、「人の数だけ正しさがある」なんていう人もいるかもしれない。
だが、これも怪しいと思う。
私は大学で心理学を専攻していた。
そんな心理学の偉人の一人にニーチェ先生がいる。
そのニーチェ先生の言葉にこんなものがある。
我々一人ひとりの気が狂うことは稀である。しかし、集団・政党・国家・時代においては、日常茶飯事なのだ。
正しさを湾曲させるのが集団であると思う。
集団内でなら、条件を満たせば黒いカラスは白いカラスになりうるのである。
集団は正しさを1つの方向に向けさせる。
もし"絶対的な正しさ"などというものが存在するのであれば、必ずそこに最終的に落ち着くはずである。
しかし正しさはゲーム理論などとは違って、背景や条件で多様に柔軟に変化するものである。
よって、絶対的な正しさなどというものはなく、正しさについて議論を常に重ね続けることこそが正しさに近づく唯一にして永遠の方法であると思う。
現代ではこの正しさの一本化が顕著だと思う。
集団の大多数の者が良しとする答えを正しさとし、それ以外のものを排除するという考えが多い気がする。
これは正しさの対極に位置するものであると思う。
正しさに近づくためのポイントは、多様性と議論であると私は考えているからだ。
その一方、この正しさの一本化が利益を生んでいる市場もある。
例えば、高級腕時計投資。
そんなもの、儲かるはずがないという考えが大多数の正解であるため、参入者が少ない状況が続く。
一時のビットコインもそうであると思う。
「国の発行していない(正確には通貨を国自体が発行していることは稀なのだが)信用のない通貨が値上がりするはずがない」という考えがまかり通っていたために、先行投資していたものは大きな利益を出した。
思うにだ、これも私が思うにだが、世間一般に正しくない行動が世界を変えるのだと思う。
皆が右を向いているときに左を向き、皆が見ていない世界を見ることができるものがイノベーションを起こすのだと思う。