私は7月にあった3連休を利用し、新潟県は月岡温泉へ宿泊した。
その時思ったが、歓迎の文化は素晴らしいものだ。
一気に体験の質を格上げしてくれる。
※月岡温泉の街並み。昼の14時くらい。
この時間はまだ人影はまばら。
旅館へ訪れると車を丁寧に誘導してもらい、女将が出迎え、中の案内を受け、そういう古くからの歓迎は非日常を味わえとても素晴らしい体験ができる。
しかし、同時に違和感を感じる部分もあった。
私の宿泊したところとは別な旅館の話だ。
私が温泉街を探索しようと外をうろついている時、目にしたのは一つの看板であった。
その看板にはその旅館に宿泊する人命が「佐藤様」のように書いてあった。企業名なども書いてあった。
まさかそんな部分で「個人情報が…」などと騒ぎ立てる者はいないだろうが、これを嫌がる者も多いのではないだろうか。
私はどちらかというと周りの者に変わり者だと言われるたちだ。
インターネットでこの違和感を調べてみた。
外国人が震える旅館の実は怖い「おもてなし」 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
そうするとこのような記事が出てきた。
この記事によれば、部屋のドアの横に名前が張り出された旅館もあったという。
私の宿泊したところはそんなことはなかったし、この歓迎を行っているのも大多数の旅館でもあるまい。
だが、いくら古くから続くおもてなしだとしても時代にそぐわないものもある。
そういうものは淘汰されて然るべきだと考える。
※夜になると幻想的な風景が楽しめる。
水に反射する灯りがまた風流。
旅館に求めるのは、非日常的な空間で身も心も休めることだと思う。
少なくとも私はそうだ。
旅館の中という空間の、名前を知らない誰かさんとの一期一会の出会いは嫌いではない。
皆がその空間を大切にし、静かな休日を思い思いに探そうとするその姿には共感を覚える。
だが、そこに名前を特定できる要因があればどうだろう。
少なくとも、私の心は休まらない。
先ほどあげた東洋経済の記事にしてもそうだが、これからオリンピックに向けての外国人観光客の問題もある。
日本に一度来てもらうだけでは意味がないのだ。
日本の良い面をたくさん知ってもらって、流布してもらわなければ。